69.「志賀直哉とドストエフスキー」
第29回面白白樺倶楽部開催報告 平成15年10月10日(金)
講師 日本大学芸術学部文芸学科主任教授
同大学院芸術学研究科教授
清水 正(しみず まさし)

講師の清水正先生
今回講演のタイトルとして、先生が掲げてくださったのは、『志賀直哉とドストエフスキー』・・・。 これは、最新刊のご著書のタイトルでもあります。白樺派を代表する作家・志賀直哉と、壮大なロシア文学の巨匠・ドストエフスキーが対置され、どのような切り口から解析されるのか・・・? 今回はロシア文学ファンも詰めかけての盛会となりました。 志賀直哉は、明治45年2月7日(28歳)の日記に「兎も角『罪と罰』を読むで考へて見やう」と記しています。明治末から大正にかけて、白樺派の青年達の間に、一種のドストエフスキー・ブームがあり、皆先を争うようにして読んでいた時期がありました。また、志賀直哉を敬愛していた小林多喜二も、大正15年(1926)9月14日(22歳)の日記に「十三日の夜、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ。9/8から読みだして9/13 迄で終了」と記しています。
二人が共に青年期において、己の生き方やこの世の真実について、悩み模索しながら、その答えを探ろうとして、ロシア文学に耽溺する体験をしているということがわかります。
清水先生ご自身の読書遍歴も、ドストエフスキーから始まりました。
以下は、先生のお話の一部を要約したものです。
私の父は、寡黙で平凡な人でした。その父に連れられて、父の手伝いをした私も黙りがちな少年で、二人の間には何の会話もないまま、黙々と作業がすすみました。そういった幼い日々の原風景として記憶に焼き付けられているのが、田にそよぐ稲穂、青く澄んだ空、吹き渡る風、つまり抒情詩の世界でした。それが年をとるにつれて、しみじみとなつかしい風景として自分の中によみがえります。
一方、私の長年の研究テーマだったドストエフスキーの描く世界は、ある意味で"うるさい"、たいへん重苦しい世界です。そういった文学を読む生活が続くと、逆に理屈の無い世界が恋しくなってくる・・・。
昔は読み通すことができなかった志賀直哉の本を、最近ふと手にとって読み始め、実に面白く読めるという発見に驚くという体験をしました。それがこの本を書いたきっかけです。
若い頃は、ドストエフスキーの描く深遠な哲学と神学の世界に比べ、志賀の文学は、卑小で通俗的な、家庭内のゴタゴタを描くにすぎないと断じていたのですが、年月を経て、そういった若い頃の評価が覆る体験をしたのです。
ドストエフスキーの作品に登場する人物達は、この世の〈不条理〉を告発し、神に問う姿勢を崩さない・・・一方志賀は〈不条理〉も〈自然の摂理〉としてとらえ、その眼差しに静かな諦念をこめて、世界を描いています。志賀文学をそう読むようになったのは、ドストエフスキーの作品群を背景に置くことによって、見えてきた光景があったからです。
父は、大正4年(1915)ちょうど志賀直哉が我孫子に移り住んだ年に生まれました。そしてこの地で結婚し、三人の子供を亡くしています。しかしそのことについて、何も語ることのなかった父の悲しみに思い至ることのできる年齢に、自分自身がなったことも、この本を書く大きな動機となったような気がします。
志賀はこの地で幼子を亡くした悲しみを、名作「和解」という短編に書き残しています。それを知って以来、私も、もの書きとして、父の悲しみを自らの本の中に、何らかの形にして残したいという強い思いに駆られようになりました。 今回上梓したこの本は、亡き父に捧げるものです。
ユーモアと情熱・・・先生の語り口は、我々聴衆を魅了し、あっという間に過ぎていった90分でした。 それぞれが"父への思い"をかみしめたひとときでもあったようです。 この夜、会場には、先生の日大での教え子、さらに先生の我孫子中学時代の恩師(栗山栄子氏)も出席され、期せずして師弟三世代が会し、なごやかな語らいのうちに夜が更けていきました。
(西村さち子)

偶然にも我孫子中学校時代の恩師栗山栄子先生と





